命について考えたこと

ご縁

病院猫のサクラが里子に出ます

シロちゃんファンクラブでよくミュウに見えられていた方のお世話になることになりました


めでたいぞ めでたいぞ 宴会じゃ
めでたいぞ めでたいぞ 宴会じゃ
サクラ:お世話になりました
サクラ:お世話になりました
娘をよろしくお願いします
娘をよろしくお願いします

強運猫のサクラは神猫のシロの導きで輿入れします         2023年10月24日

死神

地球温暖化やAIの進化で人類の滅亡は近いんじゃあないか
最近UFO もよくあらわれるし
もしかしたら自分が最後の人類なんじゃあないか

なんてのんきなことを考えながら1階のトイレに行こうとしたとき足にまとわりついてきたポンタと一緒に階段を転がり落ちてしまった



落ちていく途中、ポンタは人間の命を奪うことができる死神だったことを明かしました。しかし、ポンタはその人間を助けるために珍しい決断をしました。

ポンタは、その人間に恩返しをすることにしました。ポンタは、その人間の人生において人々を救うために彼を使うことができる力を与えることに決めました。

その人間がポンタから受け取った力は、人々の心に響く優しさでした。その力を使って、その人間は人々を救うために奮闘することになりました。

そして、その人間がたくさんの人々を助けた後、ポンタは彼を呼び出し、彼を再び人間の世界に戻すことにしました。彼はポンタに感謝の言葉を述べ、ポンタは優雅に微笑みながら去っていきました。

以来、その人間はポンタによって与えられた力を使って、人々を救うために自分の人生を捧げることを決めました。彼の優しさとポンタの行為は、多くの人々に勇気を与え、人間と動物の間の絆を強めました。

前半だけ考えて、後半はまるっきりChat  GPTに書いてもらいました。

これどうなってんでしょうか                         2023年04月24日




best と better

〈いまここ〉からどこに行くかというとき


best の道は一つしかない

better の道は数えきれない

best の思想は力強くて ほかのbestは排除する

better はいつもかのbetterたちと相談しあっているようで頼りない

そして

best が目標に向かって走り去ったあとの砂埃が収まったとき、そこに置き去りにされているのは 〈いまここ〉


ミュウ は フランス語のmieux、 英語のbetter

30年ほど前、今は亡き妻と動物の診療を仕事として始めるとき、〈いまここ〉 に苦しんでいる動物たちに対する思いをこめて名づけました

その思いは実現されたのでしょうか


                                2023年01月05日

シロより、ご縁の皆さまへ

「シロ、ミケ、ムク、ミカン、いろんな名前で出てたけど



              「潮時かなあ」



一日に何回も救急車のサイレンを聞くような酷暑の続いた八月のある日

動物病院に一匹の老ネコが運び込まれた

診断は熱射病、入院

そのまま里親を探すことになっ


「もう暫くここ(病院)で体調を整えてから、私を”しろちゃん”と呼んでくれてたひとの家に行こうと思ってます。みんな、げんきでね。ありがとう。さよなら


人気ノラネコ生活19年、月末にも岡山から面会の予定あり

(11月から里親になる方が撮りためた9500枚の中からも何枚か画像を提供していただきました)

                                                                                                                                                    2022年10月05日

スズメバチ その3


育房の渦の中心の蓋が一つだけ開いている

一頭目の働き蜂が羽化したばかりである

十分な食餌が与えられなかったことによるその貧弱な体の使命は

狩りから帰った母親から巣の材料や肉団子を受け取り

巣の補修や保育を補助することである

屈強な働き蜂が続々と羽化し巣が急激に発展するステージにつなげる重要な役割

次に続く妹たちにバトンを渡すためだけのいのち

その時冷凍庫の中で時間が止まった                2022年09月07日

スズメバチ その2

ネットで調べると凶暴性の低いコガタスズメバチという種類らしい


前年の秋に生まれた生殖能力のあるメスは冬眠からさめると

春の終わるころから女王になるために新天地で単独で巣作りを始める

下向きの六角形の筒(育房)を枯れ木の繊維で渦巻き状に作りながら

そこにつやつやしたゴマ粒のような卵を一つづつ生みつけてゆく

次々に孵化した幼虫たちは足も羽もないいもむしみたいな形をしている


巣全体を覆うように徳利をひっくり返したような形の外壁を作り

同時に、外に出て巣の材料や、成長する幼虫たちの食料を確保しなくてはならない

スズメバチは肉食動物で他の生き物を狩猟する

たった一匹で他の昆虫など獲物に挑み倒しかみ砕いて肉団子にする

それが子供たちの唯一の食べ物

さかんに食べて何度か脱皮した幼虫があるとき動かなくなる

口から吐き出す物質でで産房に蓋をしてさなぎになる

この子供たちははすべてメスである

羽化すると働き蜂として産卵以外の母親の仕事を受け持つ

娘たちが増えるに従い

渦巻き状に作られた六角形の筒(育房)のフロアの下に

新たな育房のフロアが作られる

女王は産卵に専念し

夏の終わりころにはその巣が直径数十センチ

何層ものフロアを内包するようになり

働き蜂が総勢数百匹ほどになると

女王は繁殖力のあるオス(王)メス(女王)になる卵を生み始める


夏も本番になり冷凍庫の霜取りをしたとき

トレーの奥に何重にもなったビニール袋を見つけた

玉ねぎの皮をむくように最後の袋を開けると

志半ばで尽きた命のその過程が一気に現れた


つづく                              2022年08月19日

スズメバチ その1

梅雨の始まるころ

風が吹く度に物置の外れかけた塩ビの波板がバタバタ音を立てるようになった

生垣のカポックが枝を張り出して物置の中に侵入し

屋根を持ちあげていたのだ

その枝を払うとスズメバチの巣があった

まだサイズも小さく、形も初期のもの特有で

女王蜂が単独で母親、保育士、ハンター、兵士、建築家をこなしている


スズメバチは凶暴でヒトにとって危険な生き物である


夏の終わりには直径も数十センチになる

いま駆除しなければいけないのだけれど気が進まない

そのまま一週間ほどほうっておいたが生命反応がないようである

ご近所さんにも催促されて取り外すことにした


ビニール袋をかぶせると怒りを含んだ低い 羽音が響き

慌てて何重にもビニールをかけて桁から外し

そのまま冷凍庫に放り込んでしまった

               つづく

                                2022年07月29日                     

夏至

今日は2022年の夏至

あの冬の寒さも、蝉しぐれの残暑もここにはない

しかし過去である冬は

その名残をニコの右耳の先端に換毛し損ねた冬毛

として確認できる

未来である死は

残された時間の長さの減少が確認できる

では、今であると思われる何が

確認できるものを備えているのだろうか

眼を射るこの空の青さも

心を満たすこの静けさもこれだと思った途端に

それはもう今のものでない


それでも今は確かにある

本当に?                      2022年06月21日

                                 

もうすぐ春


 12月になると家じゅうの窓をエアキャップシート(プチプチ)で内張する。

一人暮らしになり、寒さがつらい年齢になってからのこの習慣は何年目になるのだろう。

 3月になると季節の変化を促すように寒さを我慢してそれをはがす。

春の光を取り入れて部屋の中が明るくなる。

今回の冬も何とか乗り越えられたようだ。

おっと、ここにも同じようにエアキャップシートのバリアで冬をしのいだ仲間がいた。

ハエトリグモかな。

何日か後、目覚めたらたらふく食べて、パートナーを見つけて、子孫を残して、、、がんばれ

                                2022年03月06日

流れ

去年の夏のトイレの片隅

掃除道具置きの台の下に小さなクモの巣を見つけた

家の中でなぜかよく見るようになった蛾を与えてみた

蛾が羽をばたつかせると巣はばらばらになってしまった

翌日同じような巣がつくりなおされていたので

流しにいた小さなハエを与えてみた

小さなクモが巣に引っかかって羽をばたつかせている小さなハエを捕らえて食べた

飽食して腹が数倍に膨れ脱皮した

脱皮すると膨れた腹はしぼんで体が大きくなり

巣も大きく複雑になって大きな獲物を捕れるようになる

このサイクルを何回も繰り返す

家の中でさらに増えた蛾や庭の石の下にいた鎧を着たダンゴムシも巣の糸や尻から出す糸を使ってそれを巧みに捕食した

数週後成長が止まると産卵が始まり体の大きさほどの卵嚢を一つ作る

餌を食べて腹が膨らむと産卵する

産卵すると膨れた腹はしぼんで卵嚢を作る

淡々とそれを繰り返し、巣の奥のほうに卵嚢がひとつづつ増えていく


一つの卵嚢から何日かすると数十匹の小さなクモが孵化して四方に散らばってゆく

子グモは行き当たりの場所に小さな巣を張る

ほとんど餌をとれず途中で消えてゆくが運よく手ごろな餌の豊かなところに巣を張った子クモは小さな餌を食べて脱皮し大きくなる

体に合った獲物を求めてあてのない引っ越しをする

何回かそれを繰り返し幸運が続くと卵嚢を作り始める

一つの卵嚢から数十匹のクモが孵化して行き当たりの場所に巣を張る


家じゅうクモの巣だ


一方、トイレのクモはある日、ダンゴムシを与えても巣から出てこなくなった

探すと台の下にはたくさんの卵嚢に囲まれた動かなくなった母クモがいた


蛾が発生して放棄した米袋の口に巣を張るクモがいた

運のよかった子グモの一匹である

成長して初めての卵嚢を作ったのは10月

気温が下がってくるとそのまま活動が止まった


コメ袋に発生した蛾(ノシメマダラメイガ)とセアカゴケグモに似たクモ(マダラヒメグモ)のお話でした

命の流れは淡々と、、、                    2022年02月10日

共感と価値観


川のほとり

パンくずを撒く老人に群がるユリカモメ

若者が通りかかる

「なんでエサをあげるの?」

カモメたちの乱舞の中で老人が答える

「お腹すいてるんだよ。ほらこんなに喜んでいるよ」

若者が言い返す

「カモメたちに慕われる自分に自己満足してるだけでしょ。第一後始末もしないでこんなところで野生動物に餌付けをするのは条例違反ですよ」

 このような形で餌やりをする老人の行為は公衆道徳的に正しくないことだし、勇気を出してそれを注意する若者の行為は評価されるべきものであるといえるだろう

ただし、彼は老人の動機を誤解している。

 他者から称賛される喜びは広い意味の教育を通して外から与えられた価値観によるものである

 しかし、例え無人島で暮らしていてもその老人は喜んで動物の餌付けを行うであろうからその感情は価値観によるものでないのである


ミラーニューロン

ミラーニューロン(英: Mirror neuron)とは、霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動する時と、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。 (Wikipedia)


 それは欲求を満たした時に感じる喜びであって、老人が自身の代わりにカモメの体を借りて得たものである


 カモメ自身の喜びの体系はどうだろうか


 広い意味の教育によって社会から植え付けられる感情とセットになった概念、"価値"

それは”自己満足”ではないようだ

しかも、そのシステムは喜びと同時にその対極の苦しみももたらすことのできるものだ


価値、道徳、規則、義務、罪、、、


無人島の一人暮らしでは発生しない概念である。


富、名声、劣等感、、、、


善悪も


そして正義、愛さえ


逆に、これらすべてをなくしたら現実に生きている喜びは消滅してしまうのだろうか


この若者自身はどうなのだろうか


そうだ、ポンタさんにも聞いてみよう              2022年01月12日


流れ星


ニコちゃんとの夜明け前の散歩でいくつもの流れ星をみた

双子座流星群


我々の住む地球が太陽の周りを一年で巡る軌道は

一年半で巡る惑星フェートンの軌道と交差している

地球が季節を生み出す営みでその軌道を横切るとき

太陽の周りを秒速数十キロで疾走する直径6キロほどの恐怖の岩の塊の本体に遭遇することはしばらくないとしても

本体からはがれてサーキットを疾走する無数の石のかけらが一年に一度、

地球の大気をひっかいて光の傷跡を残す

数十秒に一つ現れるその光の矢を過去に辿ると双子座付近の一点で交わるが

そこに恐ろしいフェートンはいない


未来をおしはかって求めた光りの矢の交点は大地のはるか下

そこにも後ろ姿の恐ろしいフェートンはいない


未来と過去の不安と後悔に似ている


日の出はまだ日に日にに遅くなっていて夜は何日か後の冬至に向けて少しづつ長くなりつつあるけれど寒さに向けて日に日に早くなってきていた日没は実はもう10日以上前に遅くなり始めた

オリオン座は西の地平線に溺れ始め北側の丘に登ると東の低い空に七夕の織姫星が現れた


夏の準備が始まっている                      2021年12月18日


左手

最近小さいものがよく無くなる。

探している時間がそのものを使う時間より長いということもあったりしたので、その原因を本腰を入れて探すことにした。

捜査が進み、今日、ついに犯人が特定された。

 昼休みになり、帰宅しようとすると鍵がない。記憶をたどり、鍵を開けて職場に入ってからの行動を再現してみた。

受付の左側の柱のペンたてにはさんであった。

それを見た記憶は思いだせるが、置いた記憶がない。

奇妙なことに探し物はいつも左側に見つかることに気づいた。

別の事柄に集中するために左手に持ち換えると小物は必ず紛失するのだ。

小物連続紛失事件。

何回かの犯行の検証のあと、ついに見つけた犯人は私の左手! ?

この犯人を見つけた捜査官は私のなに?

私は?                       2021年11月12日                           

寿命


トリアーデ:3という数で物事を整理する思考方法がある

その方法で人の一生を寿命の視点から見てみる

ボードゲームに倣って序盤、中盤、終盤と言おう

序盤の終盤とか、終盤の中盤とか、ふたつの次元は欲しい

そうすると一生が九つのブロックに分かれる

一年はどうしても基本になるから

1ブロックの長さ9年で81年の一生か

1ブロックの長さ10年なら90年の一生か、、、

ここは3にこだわって

1ブロックの長さを3×3=9年にとってみる


9歳で心

18歳で体

27歳で技を身に着け

9×3=27年間の序盤は準備


中盤は世界でもまれて


終盤は身を引いて自己の完成


2021年10月28日正午 快晴 22℃


春のようなこの感じは

一週間ほど続いた寒さで硬くなっていた体のほぐれたせいか

突然勢力を弱めた第5波のコロナ禍で張りつめていた心がゆるむ感じか


あるいは、いよいよ近づいた私の人生の最後のブロックの予感か    2021年10月28日

擬人化

 ネコたちの世話がすんでさて何をしようかな

経理の仕事がたまっているけれどつまらなくてやる気がしない

そうだ、ニコさんの散歩しよう

ところが首輪嫌い嫌いなニコさん、首を振って抵抗する

「これをしないと外に出られないよ。それじゃあ裸で外に出るようなもんでしょ。」

説得されて、あきらめて首輪をつけさせた

「ニコさん、良い子だね。」と、言われて

ニッコリとしたニコさんは一気にお散歩モードになり跳ね回る


おっと

擬人化がきつすぎたかも


反省

そもそもニッコリしたのは私だし

あきらめたから首輪をつけさせたというのは

首輪をつけさせたからあきらめたことになったわけで

首を振って抵抗している姿をみて私の心に生じた「嫌だ」という気持が

ニコにニコの心として投影された

しかし、まてよ、これを感情移入というのなら、

「つまらないからニコさんの散歩をしよう」と思った私の気持はどうなのだろう

その感情はどこかから私に移入されたのだろうか

それも擬人化?

広辞苑によると、擬人化というのは

「人でないものを人に擬して表現する こと」

、、、もしかして、、、                    2021年10月12日

それぞれの、、

「里親さんを紹介できそうです。飼い主登録の変更に関して区役所の手続き早めにお願いします。」

7歳の柴犬を預かって10日ほど経ち、依頼主の老人に連絡した


 今回の件を経済的に負担した依頼主、つてを辿って紹介先を探してくれた病院のスタッフ達、ご縁の人々、遠い地の新しい里親とその家族、、

そして私

みんながハッピーのこの結末の安堵感のなかで

いま岸を離れようとする"みんな"という船に

大切なものを積み残しているような気がした


ことのはじまりの場面を振り返る

突然ふりかかった不幸にそれぞれの立場で抱えこんだ困難を、病院の狭い待合室で、それぞれに訴える人々がいた

それぞれの顔の表情がよみがえる

そして何十分か後

喧騒が収まり

彼らのうしろから私がリードを受け取った少年の顔だけが思いだせない

一生懸命に記憶をたどってみても

"さみしそうに、おずおずと"という言葉にたどりつくだけ


そう

人々の群れに加わって動物病院の立場を事務的に説明する私は

そこにある本当の悲しみをみようとしなかった

本当の苦しみがみえない


それに気付いたとき船が止まった

ーーーー



ボクは動物病院にもらわれました

ニコという名前でいつもここにいます

そして10年後、君がおとなになって

17歳になったボクとまた元の名前で一緒に暮らせるようになるまで

ここで待っています                         2021年9月24日


いろいろあるだろうけど、よろしくお願いします。

将来の不安、過去の後悔

残暑の厳しい8月のある日

エアコンはフル回転で冷風を吐き出している

ポンタはその冷風がよく当たる階段の一段目で伸びている

このふたつ何が違うのか、考えてみた

ポンタは高温を感知するだけでなく暑いところでハアハアしているのを不快に感じ、冷たい床を快く感じるのである

高温を感知したエアコンは熱ポンプの回転数の調整くらいしかしないけれど、ずっと不正確な温度センサーしか持たないポンタは階段の定位置で夏を過ごすようになる

快不快センサーがハアハアと定位置のごろ寝を比較することを可能にするのである

一つの刺激に対する様々な反応を比較できるので経験が意味を持つことになる


生物の問題解決戦略の特徴が現れている

そのおかげで時間とともにポンタは賢くなっていくけれどエアコンはガタが来るだけなのだ

この観点で生物の一員である自分の生活を見直してみる


たとえば私の昔やっていた剣道では、稽古は経験を積むことでありどんどん強くなっていった

色々な種類の稽古のなかには概念を使ったイメージトレーニングもあった


実生活に当てはめれば、「あの失敗がばれたらこんな責任を取らされる」「これをしたらこういわれる」 「あんなことをしなければ」 もイメージトレーニングである


思考実験なくして実生活は稽古なしで剣道の試合に臨むのと同じで高等生物の生存戦略ではない


危惧や反省などの思考実験は経験であるから快不快、苦楽が伴うのは剣道の稽古で受ける擦り傷や打ち身と同じ必然のコストである

ただし品質の低い思考のただの繰り返しは漫然とした稽古と同じで戦術の間違いといわなければならない

不安や後悔はそれである 

必要のないこころの擦り傷や打ち身

                                2021年9月1日



境地

ポンタは時々脱走する

車にひかれたら命にかかわると慌てる私をしり目に

隣のブロック塀の上をしゃなりしゃなりと歩いていたりする


ポンタは病院で飼っていたドバトをかみ殺したことがある

私はその一瞬のスキを与えてしまった後悔で

ハトの亡骸をつきつけて叱るのだが

ポンタは全く上の空だった


ポンタは死を怖れない

仲の良かったエンちゃんが亡くなった時もお棺の上を歩いていたっけ


知り合いの禅僧のおしえる

「修行の境地はネコだ」

って、このことなのだろうか


しかし、毎回のこと脱走したポンタはしばらくすると野良猫かハクビシンに脅されて慌てふためいて走り戻ってくるのを禅僧は知らない

ポンタが死を恐れないのもただ知識がないからか

あるいは自分のものとして理解できないからか

どちらにしても深く考えることをしないというだけではないのか


こんなことを考えながら夜明け前の散歩から汗をかいて戻り、家の洗濯機は壊れていてるので着替えの服がまったくないのに気付いた

「先のことを考えるな」

老師はおしえるけれど、それでよかったのだろうか

散歩に出る前に洗濯物を集めて途中で病院に寄って洗濯機にセットし、帰りにそれを引き上げて家で干しておけば出勤まで十分まにあったのに、、

「過ぎたこと考えるな」

老師の別のおしえを思い出した

気を取り直してわざわざまた病院にもどり洗濯機をセットした

「湿った服をしばらくの間我慢することにすればまだ間に合うさ」

気分がさっぱりしたついでにいつものように着ていたものも洗濯機にぶち込みさらにさっぱりする

給水が終わりモーターが動き出す


「さて、帰って朝ごはんにするか、、あっ」

そこに裸の自分を見つけてあたまが真っ白になる

思考が停止する


一瞬、心身ともにポンタになれたのかも                 2021年8月9日

夜明け前の散歩

スマホのアラームが鳴っている


暗闇の中、手探りで灯りをつけ

午前三時の家の中の自分を発見する

ドアを開けると

照明灯に浮き上がる人気のない通りと

梅雨の季節の灰色の空

街灯の列に照らしだされる坂を上ると

通り過ぎる門門でセンサーライトが点灯する


一軒の家の表札に目が留まる

最近見かけなくなった幼馴染、、、

丘を登り切り視界が開けて

闇の底の数百のちいさな光の点々を見下ろす

それぞれのあかりから

ひとつひとつ世界は生まれだしてくる

木々の陰影の中で小鳥たちがさえずりはじめ

無数の小さな光の世界たちを圧倒する一つの巨大な光:太陽がやってくる


薄明に初蝉の声が聞こえる


線香の香りが漂ってくる


                                 2021年7月10日

1/60000000の世界

月
地球と月の関係
地球と月の関係
光に乗って10分
光に乗って10分
太陽
太陽

                                  2021年6月10日

ネコ語


パソコンに向かって仕事をしているとどこからかディスプレーの前に現れたポンタが

しっぽをゆっくり振り振りしながら目を細めて伏せる

「邪魔!」

腰をおして退かそうとすると

「ニャ二、ニャロ」

と鳴いてキーボードの上で踏ん張って画面をめちゃくちゃにした

これを、日本語に翻訳すると

ポンタ:「友よ、またくだらないことしてないで、哲学を語ろうではないか」

私  :「またあとでね。もー、そこどいてよ」

ポンタ:「なにをする、この未熟ものめ、こうしてやる」

と、なる

くつろぎを妨げられたネコが怒ってニャアニャア鳴いてるだけじゃんとおっしゃる方、

ネコ語わかってません


言葉は音声だけで構成されているのではない、心から心に情報を伝える伝達手段

日本語のようなヒトの言葉は一応広くは通用するけれど内容は必然的に浅くなる

今日も、私の楽しみは、

私とポンタにしか通じないネコ語の一方言での深いおしゃべり

                                  2021年5月10日

魔法使いの死

 2月のころに比べると日の出の時刻は1時間半ほど早くなり、散歩の時間帯を繰り上げなくてはならなくなったのだけれど、寒の戻りとオリオンのいない春霞の 星空に気力が萎える。

 疲れてそろそろ引き返そうかと思うころ星を隠していた厚い雲から突然みぞれが落ちてきた。木々の若葉をたたき、私のウィンドブレイカーをたたき、私のほほに小さく冷たい無数のノックをして、街灯の下、桜の花びらの貼りついた 乾いたコンクリートの上を飛び跳ねて、にぎやかに踊る小さな氷の粒の大群。ひとしきりして、夜明け前の闇に静寂が戻ると家の方角、雲の途切れた東の空は真っ赤な朝焼けだ。

 午前中の仕事が終わり家に帰って休んでいると、ご近所の一人暮らしの年配のご婦人から電話が鳴る。「ネコが朝から動かないんだけど、お宅、獣医さんでしょ。ちょっと見てもらえません?」

 お屋敷の中庭に面した明るい縁側の籐椅子に5,6枚重ねた座布団と薄いきれいな掛布団のあいだにカツオが微笑んでいるような表情ですでに固くなっていた。

「夜中に水飲んでたのよ。明け方に亡くなったのかしら」


  家に帰り、流しの横のサッシをしめた。

冬の間ずっと開けていた10センチほど の隙間を閉じた。

                                 2021年4月10日

 何年も前から家の周りを縄張りにして人を近づけない生粋の野良猫だった。この冬は越せないだろうと思い、何度も痛い目にあいながら秋から餌付けをして、窓を開けたままの一部屋に段ボールでしつらえたネコ小屋で夜だけ寝るようになっていた。一週間ほど、食餌量が減ってきていた。二日姿を見せなかった。

 カツオ御殿、かたづけるとするか。

そして、何日か後、、、あら?!  術をつかったかな?

                                 2021年4月24日

ある階級構造

サクラのつぼみが目立ち始めた公園にそった散歩道

前方の歩道に大きな黒い車が静かに横づけになる

振り向いた運転手の険しい目つきに制されて足が止まる

黒いスーツのいかつい男がいつのまにか車の横に立ち、静かに後部ドアを開けた


「奥様、段差にお気をつけください」

老女がぎこちなくステップから歩道におりたつと、ふわふわの毛皮のコートの下から、胴体と尾が脱毛してピンクの地肌のあらわになった小さな生き物がとびだし、植え込みに素早くに消えた


杖に寄りかかり植え込みに向って立ち尽くす老女、ドアに手をかけ周囲に目を配る

黒いスーツ、前を向いたままの運転手、凍り付いた私

数分間時間がとまった


「タロウちゃん、さっぱりしたわね。いきましょ」


再び時間が動き出す

タロウさん、足もふかずにご婦人のコートの中に

黒服は老女を後部座席に誘導すると静かにドアを閉め、私に深々と頭を下げる

きびきびとした動きで、携帯をかけながら助手席に乗り込み運転手になにかささやく

再び運転手のつめたい視線が私に向けられ、車はすべるように走り去った


彼にとって私はどんな存在なのだろう


彼の世界の登場人物は?

タロウさんのみている世界にはだれもいない

老女の世界にはタロウさんだけ

運転手の世界は黒服と運転手自身だけで十分そうだ

黒服の世界に登場するのはタロウさん、老女、黒服、運転手、私

私の世界に登場する役者は、タロウさん、老女、クロ服の男、運転手、そして私


あるものの心の世界にそのあるもの自身が登場するのはどんな時だろうか

                                  2021年3月20日

意志、自由意志 その1

 獣医師「今回の健康診断、肥満度 以外に問題ありません。この際チュールをやめましょうか。」

  最近、ネコの寿命が顕著に伸びてきて、20歳を超えることが驚嘆の対象でもなくなってきた。そのようなネコの共通の特徴は、やせていることである。15歳を超えるころから、どのネコもやせてくるが、加齢でやせた子に20歳越えは望めない。色々な理由が考えられるが、事実として、自由に食べさせて太っていれば長生きは難しいのである。


お母さん「チュールかけないとご飯食べないのよね」

獣医師「マーガレットちゃんからすればあとでおいしいチュールが出てくるからご飯食べるのを我慢してるんですよ。」

 将来のために今の満足を我慢する能力を自制心という。

お母さん「でもねえ、おいしそうにチュール食べるのよねえ。マーガレットちゃんにはうんと長生きしてほしいのよ。だけど、、、、」


 この自制心、高度な精神的能力だが、イカにもあるそうだ。

https://news.livedoor.com/article/detail/19786084/

イカにあるのだからより高等な生物であるネコにも当然ある。

ネコにあるのだからより高等なはずのヒトにも当然、、と思うのだけれど、実際そうでない場合があるようなのである。

                                   2021年3月4日

 

ご縁

 何年か前から、近所で子猫を何頭も交通事故等の犠牲にしながら自らは捕獲をうまく切り抜けて出産を繰り返す野良ネコが います。今回、病院と隣家との隙間を七匹の子猫を引き連れて回遊するようになったので、スタッフの協力のもと、えんちゃん募金の助けを借りて病院主導で保護することにしました。

 ハクビシンのうろつく毎夜明け前の闇に消えてゆく子猫の後ろ姿をみながら餌付けをしつつ捕獲を試み続けた1か月半。そして、母猫を含めて8頭の里親さがしの1か月のプロジェクトがミュウに通う飼い主さんや近所の人たちの助けを借りて、 完了しました。

 そういえば、行倒れていたえんちゃんを持ち込んだひとがずっとメスだと思っていたのは子猫を連れているのを見たことがあるからといっていたっけ。親にはぐれた子猫の面倒を見ていた?お乳も出ないのに、、、

 多分、たくさんの人の心の中に今もえんちゃんは生きている。働いている。


                                 2021年2月16日

ヨウ!元気?

仕事のあと、遠回りして丘を越えるコースの帰り道、見上げる南の空には冬の星座オリオン座とクロちゃんのシリウス。

一方、寒さで布団から出られず、何日かぶりになった散歩の夜明け前の(五月だったら8時ころの)西の空に明るく目立つ星は、こいぬ座の一等星プロキオン。


とびきり利口なクロちゃんがおおきないぬなら、このちいさないぬはあのとんでもお〇〇な、、、?!

呼んだ?                               

                                  2021年1月23日




 夜道で次々にすれ違う人を観察してみる。遠方から顔の正面を見せて現れた人が街灯の光に照らされた明るい部分と影の暗い部分の境界を規則的に移動させながら見せる顔の面をゆっくりと回転させてすれ違うときは横顔になり遠方に後頭部を見せて消える。

 もし、その顔が、いつも同じ面を見せていたらどうだろう。その人が初めて視界に入ってきたときの顔の見え方のまま近づいて来てすれちがったら。本能的に警戒するはずだ。

 あえて理論的に分析すると、真正面を見せている顔の持ち主の視界のなかでは私の像は静止している。それはその人が私の姿に照準を合わせて次にとる行動の準備をしていると解釈されるからである。

  道ですれ違う人たちと同じように、頭上の空を通り過ぎていくものがある。太陽と月と星である。無数の星たちは、星座という隊列を組んで整然と、一方、太陽は一年、月は一か月かけて同時に星の隊列を縫うように移動しながら一日に一回私たちの頭上を通り過ぎてゆく。

 その中で、月は特別な通行人である。太陽光に照らされた明るい部分と影の暗い部分の境界を規則的に移動させながらも、月は地球をロックオンしている。つまり、月から見た地球は空の定位置を動かないのである。

 月のウサギにとって、地球は黒い空の一点に固定されたまま24時間で一回りする青い壁掛け時計である。

                                  2021年1月12日

ここ と そこ

英会話を教えている日本語ペラペラのイギリス人に聞いてみました。

わたし  「教えてもらいたいことがあります。外国の友人に電話で『こちらは日に日に寒さが厳しく      なってきましたが、そちらはいかがでしょう』と英語でどう言ったらいいでしょうか。

イギリス人「『Here ---省略---、how about there? 』簡単ね」

わたし  「『あちらはどうでしょう』とおなじですか?。その前に金星の話をしてたらこれだと       金星の天気の話になってしまいませんか?」

イギリス人「それなら『how about you』ですね」

わたし  「『こちら』の『here』みたいな『そちら』の英語はなんですか?あなたが『here』という       場所を私は英語で何と言ったらいいのですか?」

イギリス人「『そちら』『そこ』『それ』、とか、日本語難しいね。私よく分かりません。」

 日本人の”空気を読む”と言われる習性の根っこを見たような気がした。

                                   2020年12月16日

共感

スマホをぼんやり見ていた。いつもは反射的にスルーするような、若い女性が主人公の短いドラマをななんとなく見ていた。クレジットの主演女優は、地名と番号がついているので多分アイドルだろう。ドン・キホーテ商法みたいに同じようなものがたくさん並べてあるとつい比較してしまい、なかった価値が発生してしまうような心理に付け込んで成り立っているタレント 集団だと私は決めつけている。なぜか、そのストーリーを追ってしまった。

 主人公は、不規則な労働時間とセクハラ、パワハラいっぱいのブラックな撮影の仕事についている。スタッフに忖度し精神的に追い詰められていく主人公はついに「クビを覚悟で」反撃を始める。自分の気持ちに正直に生きようと、友達の誕生日に 親戚が亡くなったことにして、 撮影現場から定刻通り退社 しようとしてばれて当然の成り行きで罵倒される。ディレクターは作品の締め切りを過ぎて上司に恫喝された、俳優は持病で余命を宣告されている、同僚は今回のプロジェクトのために泣く泣く海外旅行を延期した、等々(このへん適当)。「みんな我慢してがんばってんだ。お前だけ何様なんだよ」と。

 上司に嫌なことを言われても失職まではないでしょ。ディレクターさん会社にうまく操られてないですか?仕事が早く終わって余った余命でどうしてもしたいことがあるなら今すぐ荷物をまとめてそちらをするべきでは、俳優さん。わざわざ大量の化石燃料で飛行機飛ばしていかなければ感動をもたらす景色は体験でき ないですか?旅行会社に騙されてませんか、同僚さん。

  でも、実際周りの人たちが不満を感じていれば、その一人一人の苦しみは冷静に考えたら大した根拠もないことでも、まったくKYということは難しい。ひとつひとつはつまらないことでも、小さなことでも 、3人でなくて、何十人、何百人のいやな気持を一人で受け止めると、いのちにかかわるまで精神的にダメージを受けることにもなってしまう。このいやな感じは足し算ができるようなのである。

 主人公はその試みをあきらめることにするが一転、みんなの優しさとチームワークで撮影は完了し、友人の誕生日会に出席できたという予想通りの安っぽいドラマである。

 三年ほど前、ある有名な禅僧に「そのネコ(ポンタのこと)をよく観察してそこに自分自身の在り様を映しだすようにしてみてごらんなさい」といわれてから、ポンタにはいろいろ教えてもらっているけれど最近気づかされたことが「共感能」である。他人の感情を自分のものとして感じることができるあれである。

 子猫の面倒を見る母猫以外ネコに共感能 はない。例えばポンタには私が何をどう思っているか感じられない。観察してネコが持っていないもの に気付くと、ヒトの持っているものに気付く。ヒトの行動に大きな影響を与えていることに気付く。

 共感の観点からこの動画を見て気がついたことがある。ドラマの雰囲気がガラッと変わる起承転結の転の部分、 撮影が完了した喜びに隠されているが その直前にスタッフたちのそれぞれの嫌な気分を主人公の共感能 で複製するモードから、誕生日会で楽しむ主人公の楽しい気分をスタッフたちがそれぞれ共感能 で複製するモードに転換するのである。出演者たちの気分に観客である私が共感し癒されるのである。

 時が流れ環境が変化したのか、集団が、構成員の恐怖や苦痛などの嫌な気分を共有して課題を乗り越えていく従来の方法が曲がり角に来ているような気がする。それ自体も細胞の集団である 個人のレベルでも、時の流れによる社会の変化で、活動するときの交感神経モードと休息するときの副交感神経モードのバランスが崩れ、交感神経活動過剰の自律神経失調症が頻発するようになったのと似ている。

                               2020年11月28日


亀吉が亡くなりました

ある日突然、どこからか現れ、やりたい放題で3年間、本当に性格の悪い奴だったけれど、空になったケージを見ると寂しいな。咬みつきイヌの亀吉。帰ってきてもいいよ。

ゴキブリの秘密 その2


 ムシを餌にしていた生物から進化し、高度に連携して機能する一対の捕獲装置(手)まで備えたヒトの一員であるはずの我が優秀な病院のスタッフはムシの一員であるはずのゴキブリに出会うと中枢神経系統が混乱し統制された行動ができなくなってしまう。これは例えばアカガエルに遭遇したたシマヘビの体が突然ねじれてツルマキばねみたいになってぴょんぴょん跳びはねてしまうようなものであり、なかなか興味深い現象ではある。

 トキソプラズマというネコの寄生虫がいる。妊婦の体内に侵入すると胎児に取り返しのつかないダメージを与える可能性があるので獣医師は常に情報を更新し、ネコを飼っている妊婦さんに提供し注意を喚起しなくてはいけない。そこで、直接関係ないが面白い最近の知見を得た。

 寄生生物として、例えばノミや回虫の宿主はイヌ、ネコ。フィラリアの宿主はイヌ、そこで繁殖して幼虫が吸血で蚊に移り、そこで成長してまた吸血によりイヌにもどる。サケが川で生まれて、海で育ち、また川にもどって、みたいなものでこれを繰り返す。細菌より高等でミジンコより下等な1mmの百分の一に満たない単細胞生物のトキソプラズマという寄生生物にとって宿主のネコの体内で繁殖し、排泄物に混ざって外界に拡散、ネズミの体内に入って成長し、天敵のネコに捕食されてその体内へ、これを繰り返すのが正規のルート。

 正規の宿主ではないヒトの体に入ってしまったトキソプラズマは繁殖できず、迷い、焦って暴れだしそこに大きなダメージを与えることもあるが、正規の宿主であるネコはそこで繁殖できる大切な住処だからトキソプラズマは大きなダメージを与えないように進化している。

 新しい発見によると実はそれだけではないようなのだ。ネコの匂いに気づくと逃げる本来のネズミがトキソプラズマに侵されるとネコの尿の匂いを好むようになってネコに自ら近づき食べられてしまうというのである。ネズミの脳の嗅覚の処理を担う領域にトキソプラズマが見つかったのだ。トキソプラズマはネズミの脳を支配して行動をコントロールし、宿主のネコを養うのである。

 そこまでするトキソプラズマだったら、かつおに見つめられると居てもたってもいられなくなってチュールを買いにコンビニに走ってしまう私の脳に侵入してネコの繁栄のための工作をしていてもおかしくない。

 寄生虫と宿主は共存共栄、というか、一心同体。寄生虫は体外で活動する宿主の一部。あるいは逆に宿主は寄生虫の抜け殻。

 シマヘビぴょんぴょん現象はもしかして、そいつにとっては宿主様であるゴキちゃんの危機を忖度し、いざというときのためにヒトの脳内に潜伏している未知の微生物X! のしわざ?  考えすぎでしょ。


 袋の口を緩めて窓の外に置くとビニール越しに感じていたゴッキーの腹部の妙なやわらかさに、DNAに刻み込まれた一億年前の記憶の「おいしそう」とささやくのが聞こえたような気がして、その窓をあわてて閉めた。

                                 2020年10月16日

ゴキブリの秘密 その1

 一日の仕事を終え、2年ぶりの大接近の火星をながめるために丘を一つ越える遠回りをしてすっかり暗くなった家に戻って灯りをつけると一瞬ガサゴソと大騒ぎのあと 複数の黒い物体が 物陰に隠れ台所はまた静かさに包まれた。冬に備えて、野良猫のかつおを家に入れようとして戸を開けたままにしているせいで最近目立つようになったゴキブリたち。ゴッキー、そういうふうに呼ぶと周りの人たちに白い目で見られるけれど、この騒乱のあとの静寂の中で必死に隙間に身を隠そうとしている彼らの姿はなかなか憎めない。とは言ってもゴッキーまで。ゴキちゃんと呼んで一緒に桜を見に行ったり食事をしたりするほどの仲ではない。食器の中にかくれていたので逮捕して排除する。 

 左手で隠れ場所をめくり、走り出してくるゴッキーの予想位置に向かって素早く差し出した右手でつかむ。なぜか、小さめのビニール袋を右手にはめるがそれはおまけ。この作業はまず失敗しない。

 獲物までの距離を認識できる顔の前面の二つの目、獲物の運動の軌跡を計算できる脳、獲物を閉じ込める檻に変形する5本の指、それを素早くかぶせるための長い腕と関節。それらの連携でゴッキーは全く抵抗できない。ビニール袋を裏返すとそこには栄養のありそうな太った腹部を波打たせたゴッキー。そう、実は人間はゴキブリの天敵なのである。

 1億5千万年前、恐竜たちがのし歩く世界のすみのほうでつつましく生き続けていたちっぽけなしょぼい生物がいた。進化論によれば、そういう生物にこそ進化の可能性が与えられ、3種類の生物に分かれて、コウモリ、モグラ、ヒトの祖先になった。

 飛んで逃げる餌を追ってコウモリの祖先として 、土にもぐって逃げる餌を追ってモグラの祖先として 、すばやくはい回って逃げる餌を追って我々の祖先として それぞれの体を適応させ進化し別れていったそのちっぽけでしょぼい生物は”食虫目”と呼ばれている。

 ゴキブリがわれわれの”食”の対象としての立場を失ったのはたかだか数千年単位の文化の問題であり、まったく太刀打ちできない事実には数億年の生物学的歴史の重みがあるのである。

 ところが、このありさまはどうだろう。職場にスタッフの悲鳴が響く。優秀な働き手である彼女の灰色の脳細胞は突如現れたゴッキーを前にして 機能不全に陥り、青くなって立ちすくみ、せいぜい取り乱して殺虫スプレーを乱射するぐらいである。

 その謎が解けたかもしれない。

                                 2020年10月5日

寿命

日の出が徐々に遅くなり、一人ぼっちの朝の散歩は4時台になりました。星たちは北極星を中心に東から西の向きに一日一回転します。正確には、24時間で360度以上回転し 一年で天球を一周して元に戻ってくるのです。一年が365日ということは星たちは一日に約361度ずつ回転するのです。太陽が明るいから見えないだけで冬の星座といわれるオリオン座は真夏には昼間の空にあるはずなのです。12か月で24時間だから星たちは一か月で2時間早く同じ位置に来るということです。ということは今ここの星空は4か月後、極寒2月の夜八時の星空です。

最新の天文学によるとオリオンの右肩、640光年のかなた、ベテルギウス星はその寿命を今まさに終えようとしています。明日にも昼間でも見える 大爆発を起こし、超新星になるのが確認できるかもしれないそうです。

 オリオン座が星座の王様ならベテルギウスと冬の大三角形をつくるシリウスは全天の星の王様。

あ、クロちゃん、、、

14歳で三年前に 亡くなった20キロのイヌが 、寿命一千万年の最期を今迎えつつある 、体重30,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000キロの恒星と

  真冬の南西の星空で並びます。    https://www.youtube.com/watch?v=vKzZS5bFp9M                                   2020年9月23日

魔法

腹減った~
腹減った~
やれやれ、やっと来たか
やれやれ、やっと来たか
おい、皿がカラだぞ
おい、皿がカラだぞ
キラーン これでどーだ
キラーン これでどーだ
うみゃい、うみゃい
うみゃい、うみゃい

                                  2020年9月14日

星空と命

 八月、パンデミックの地上は猛暑日と熱帯夜が続いていますが、日陰でふと違和感を感じさせられる多分その同じ空気のせいで澄み渡った夜明け前の空の 星々の様子に季節の移り変わりははっきりと現れてきています。

 国道に抜ける小さな峠から高速道路沿いの181段の階段を上った高台に出て振り返ると南の空高く灯るのは火星。スマホのアプリで確認しながら右のほうにぐるっと空を見回していくとペガサス座、低い空の白鳥、カシオペア、北極星、カペラ、金星、そして空を一巡りして冬の星座オリオン座とシリウスを見つけたとき思わず声をあげました。

 星空は同じ様子を繰り返し、人はその周期で一年の経過を悟ります。星空の繰り返しがなければ一年の時間の概念はなかったでしょう。月は繰り返すその形の変化でひと月の時間を定義し、太陽はその動きの繰り返しで一日が決まります。

 オリオン座を久しぶりに見て一年の時間を意識したとき、この一年にお別れしたいくつもの命や生まれた命を思い出しました。

 そういえば、ポンタが星を見上げているのを見たことがありません。前日食べたチュールをまたねだることはあってもほとんどその場限りの生活を味わっているように見えるポンタの世界は太陽の明るさの変化の認識をとりいれた時間の世界です。その世界には生まれたり、死んだりということがないのです。

  星を眺め、その世界に年単位の時間を取り入れてはじめて人の住む世界に“生”や”死”が生まれたのだと思います。


                                 2020年8月30日

 

認識


ウィルスの乱舞する新宿で禅の講話がありました。そのあとで、凡夫である私が禅のお坊さんに質問をした内容をまとめてみました。

禅師 認識は遅れる。

   人はわざわざ時間をかけて思考のフィルターを通し、真実をゆがめてとらえる。

凡夫 認識の遅れは、思考だけに因るものではない。

   感覚から知覚そして認識にいたる各ステップを情報は行きつ戻りつして加工され統合され記   録され時間をかけて流れてゆく。

   思考はその一部分に関与するだけ。

禅師 それは考えすぎであろう。

凡夫 まだ考えが足りないと思っています。

禅師 おまえさんは剣道をやったことがあるかな。

   相手の動きを認識して思考しとったら試合にならんのだよ。

凡夫 それはその思考がまっとうでないからです。

   今回、相手の竹刀が打ち下ろされるのを知覚してから防御しようとしてしくじったらその結   果を思考で分析して認識し次の機会に備える。

   それが基本的な予習復習の思考のシステムで、ネコにでもあるものです。  

禅師 まあ、一度坐ってみなさい。この間も参禅で思考や認識から一切解き放されて、道場から地   下鉄に乗って、、、思考が戻って初めて家にいる自分を認識するということがあった。

   はじめからそこまでいかなくとも座禅をすると認識とか思考とかが世界の一部しかとらえて   いないのが実感できるから。

凡夫 それはその日の帰路の記憶がなくなったというだけで説明がつきませんか? 

   ペットの手術でも最近よく使われるある全身麻酔薬は投薬数分"前"から覚醒までの記憶を消   去します。

   それだけです。

   一部しかとらえられていない全体があるという設定こそが老師の思考の産物のように思われ   ます。

禅師 (バン、バン)これ!考えを超えた存在を感じないのか?

凡夫 逆にその存在を支える思考の働きを感じます。

禅師 わしは(バン、バン)100%確信しとる。

凡夫 その100という数字を導くのにいくつぐらいの事例の分析がありますか?

禅師 真理をつかむのは積み上げた経験ではない!

凡夫 錯覚だったかもしれないと思いませんか?

   思い上がりではないですか?

禅師 お前さんの世界は思考に依る迷いの世界だな。

凡夫 老師の姿勢は真摯でないと思います。私はその立場をとらず、論理的思考という不完全な道   具を改良しながらそれで自分の世界を築いて行こうと思います。

                                 2020年8月13日

 いま、読み返すととてもとげとげしい雰囲気に感じますが、実際は二次会の新大久保の韓国系喫茶店で、私は時間外れのモーニングをモリモリたべながら、80代の禅僧はずっとニコニコというよりニヤニヤのなかの会話でした。

 そろそろまたつぎの月例の新宿の禅の講話会です。         2020年8月29日  



ある幸運

 フィラリアシーズンの忙しさが一段落ついた梅雨のはしりのある夕方。久しぶりに、時間的にも、経済的にも余裕ができて、伊東に隠居している友達のところで2,3日、町中にある温泉銭湯巡りと金目鯛三昧でもと思っていると、急患のネコが運び込まれた。昼まで元気だった顔見知りの野良猫が急に動けなくなったということである。

 あたふたとキャリーから診察台の上に出そうとするのを制して、まず状況を確認する。 自力で動けない野良猫の処置は公的機関が受け持つことになっていて、一旦、動物病院で応急処置を施した後、市の愛護センターに引き取られて処置されることになっている。 ただ、そのコースに移るまでは、保護した人が責任を持つ。社会のシステムはそれを構成する個人や機関の責任を逐次確定しながら、粛々と進んでゆくのである。

  キャリーから出す前に一応保健センターに連絡するように指示して獣医師の私としてはあとは安心してルーチンワークをこなせばよいのである。ただし今日は土曜日、預かりが一日伸びるが、まあ、とりあえず、診させてもらうかな。

 5歳ぐらいの栄養状態の良さそうんな、がっしりした雄の桜猫である。体表に損傷は見られないが、四肢の爪の先はささくれていてぐったりとしている。呼吸は正常。唇をめくると歯茎は真っ白で、体温はかろうじて計れるほどの低体温。

 交通事故によるショック状態で、耐えがたい苦痛の状態ではないけれど、今夜超えられるかわからない状態であること。一刻でも命を長引かせるという治療でなく、生命活動に力を貸すという治療、せいぜい、ショックの反応を鎮めるくらいならここでもできること、を説明し了解をもらって、役所に連絡のつく月曜日まで預かることになった。

 そして翌日の日曜日、意識はしっかりしているものの立ち上がれず、垂れ流し状態の血尿。相変わらずの低体温。内臓に大きな損傷があれば長くても数日の命で、その可能性は大きい。最低限の処置をして役所が開く明日、愛護センターに任せるというのが、鉄壁の官僚的ルーチンシステム。心に何かもやもやしたものがあるけれどこれが大人の対応、開業小動物獣医師の王道であるとわりきる。

 ところが、検査を終えて、ケージに戻そうとしたとき。それらの虚構を吹き飛ばすように、ごりっという現実の鈍い振動が猫の後ろ半身からそれを支える私の右の手のひらに伝わってきた。

 交通事故による骨盤骨折で、腰と後ろ足をつなぐ、四角形の骨のフレームがつぶれ、折れた骨の断端同士がこすれあう生々しい振動である。肺や肝臓等その他の臓器、脊髄 の損傷や血管や尿管等の断裂等がなければ完全に回復するネコの例を何件も経験しているが、骨盤自身が破壊されることによって衝撃のエネルギーを吸収し他の臓器の損傷の程度を抑えたのである。ただし、回復のためには一か月の安静が必要な条件である。この、”他の損傷”についてはこの時不明ながら、少なくとも明日、ここを追い払えば、このネコの復帰は100%ない。

 この瞬間、心は決まった:大人の対応も王道もついでに金目鯛ももやもやと一緒にさようなら、となった。(また、やっちまった)

 方針が決まって物事が進んでいくと、それに力を貸してくれる人が現れ、ネコはそれに見事に応えてくれた。

3日目 体温が戻り始める

5日目 血尿が治まる

8日目 自力採食

12日目 立ち上がって自力採食

13日目 食欲旺盛

16日目 排便

31日目 リハビリ開始

32日目 トイレで排便排尿

三日後、里親さんのところに引き取られて行く予定。

感謝、縁あるすべてのものから、縁あるすべてのものに。


                                 2020年8月2日

牛が死んだ

 獣医師会に属していると定期的に送られてくる日本獣医師会雑誌。獣医学の流れに置いて行かれないための貴重な情報源である が、職場での自分の守備範囲とは隔たった大動物の事例に学ばされることが多い。

 ”黒毛和種繁殖牛で発生した障害サツマイモ中毒”という短報に目が留まった。百年以上前から知られていて、つい最近まで”腐敗甘藷中毒”とよばれていた事例で、傷んだ芋を食べた牛が死んだということである。目が留まった理由はその表現の違和感である。”甘藷”が”サツマイモ”になったのはわかるとして腐ったイモが原因の中毒なのだから”腐敗”でいいのではないか、”障害”サツマイモ中毒、、、紛らわしい表現だなあ、と。その短報を読んで、留めた目からうろこが落ちた。

 うろこの目で見た世界はこうであった。太陽光のクリーンエネルギーで、大気を汚染している二酸化炭素を勤勉にリサイクルし畑の土の中にでんぷんとして平和的に蓄えられたサツマイモ。子牛のためのお乳になるべく母牛の飼料として掘り返されたサツマイモをカビやばい菌の下等な生物がかぎつける。腹をすかした怠惰で残虐な奴らにおそわれたサツマイモは 抵抗するすべを知らない。下等な奴らは食いつくし、所かまわず毒として排せつし、 まき散らす。まさに”腐敗”。汚された環境を知らずにそれを取り入れた母牛が命を落とす。ハリウッド映画風に少し話を盛ってあるが大体こんなもんである。

 ところが、その短報の内容はこうであった。サツマイモは、カビや細菌の感染、物理的な傷、化学的処理等障害ストレスを受けると自己防衛反応としてある種の抗菌性物質(微生物に対する毒素)を産生する。発表者らは、実は牛の命を奪ったのがファイトアレキシンというその物質であるという証拠を厳密に提示した。そして、うろこは落ちて転がっていった。

 床をころころと転がりながら、つぶやいた。 

「おいらはこれでおさらばだ。物語もおしまいだ。え?本当だと思ってたって?そりゃあ悪かったな。そんな善良でか弱いお芋さん じゃあないよな。でも、ちょっとでも考えたら、何億年も、人間様の何百倍も生き延びてきたのがそんなやわなはずないだろうよ。あんた、知らなかったっていうかもともと本当のこと見たくなかったんじゃないのか?大体、サツマイモから見たら、腹をすかして襲い、残虐に食いつくし、所かまわず毒として排せつし、 まき散らす のは普通、サツマイモより”高等”な 牛たちだろ?そして、それをしきってる黒幕は、、、おまえさんたちだもの」

うろこは転がりながら机の下、壁際の闇に消えていった。

                             2020年7月13日


苦痛


 痛覚刺激などの不快刺激によって誘発される情動で,痛みの感覚そのものとは区別される。苦痛は,悲しみ,欲求不満,葛藤など各種の心理的原因によっても生じる。                        ( ブリタニカ国際大百科事典 )


 包丁を心に思い浮かべます。いろいろな想いが湧き上がる中で痛みを連想します。それを確かめようとすると心の中にアラームが鳴ります。ざっくりと指を切ってしまった傷の痛みを再現するなという警告です。

 包丁を懐に入れます。またアラームが鳴ります。あぶないものをもっているから注意しろという警告です。確認しようとすると今度はさきほどのアラームが鳴ります。

 臨床実験です。包丁を身につけて日常生活を送るのは色々な意味であぶないので、包丁に見なしたスパゲティトングをズボンと腹の間に挟んで亀吉の夜明けの散歩に出かけました。見るなというアラームと見ろというアラームがそれぞれの軽い痛みを伴って際限なく繰返します。

 苦しみはそこに現れます。

 そういえば、包丁とスパゲティトングの区別もないネコのポンタの世界には痛みの繰り返す苦しみである過去についての後悔も、未来に対する不安もないようです。

 ヒトはこの苦しみから抜け出すにはどうしたらよいでしょうか。たとえば包丁を捨ててしまいますか?ヒトにとって包丁がないと不便ではないでしょうか?

 苦痛を言葉で表して繰り返されるのは悩み。悩みから抜け出すにはどうしたらよいでしょう。言葉を忘れますか?それでヒトらしく生きることができますか?

                                  2020年7月1日

確かにそこにある

 6月は梅雨。丘巡りの夜明け前の散歩も曇り空で星は見えない。目を地上におろすと旧市街の南を縁取る丘の稜線までマンションの部屋、通路、車道の側灯、車のバックライト、の色々な色で埋め尽くされている。

 あの灯りが、たしかにマンションリバーサイドの301号室の窓の灯りだということは行って確かめることができるはずだ。

 それが、存在する、ということだから。

 今は雲に隠れて見えなくてもこの季節この時間の南の空にはつねに探査機からの新たな情報が地上の観測基地に送られてくる木星と土星がある。 

 それが、存在する、ということだから。

 もうすぐ夏至。清水ヶ丘の温水プール の生垣のあじさいがさいているはずだ。

 そして、仕事の帰り道、遠回りして 長い階段と坂を上った丘の上、夕方はまだ明るく、 コロナ禍のために閉鎖された薄暗い温水プールを青いベールが包んでいる。

 百株ぐらいだろうか、その一株一株にに数十の大きな青い花、よく見るとそれはそれぞれ4枚の青い花弁を持つ多数のちいさな花の集まり。

 ひとつの大きな花を調べて209体の小さな花からなっているのを確認する。つまり、青い花弁を持つ一万ほどのちいさな花があじさいの一株をつくり、青い花弁を持つ百万ほどのちいさな花がわたしの今年の清水ヶ丘のあじさいの正体であると確認する。

 納得して、暗くなりつつある坂道を下りかけ、不安を感じて振り返る。青い花弁を持つちいさな花№209はどこ?№208は?夏至の夕闇に包まれ始めた百万の小さな花の中で二度と№209は、、、

それが確認できないとすれば?  

                                  2020年6月18日

ペットの太る仕組み

 コンビニで、買い物をする。私は、100円払って、シーチキンマヨネーズを一つ受け取る。たとえ100円でもお金が無くなるのは面白くないけれど、おいしいおにぎりを食べて幸せになるためにその取引をする。コンビニだっておにぎりを持っていかれるのは本望でない。その証拠にそのままポケットに入れて帰ろうとしたら、、、。お店は100円もらうという目的のために商品がなくなる不都合を我慢しているのである。

 コンビニのレジのアルバイトはお客の相手をするのは面白くないけれど、1050円ずつもらえるという幸せのために1時間ずつ我慢し、一方、コンビニは一人一時間、1050円ずつ払うのは全く望まないけれど活動の維持のために我慢しているのである。

 一緒に買ったチュルルをポンタに与えるとポンタは瞳孔は開き、毛は逆立ち、悲鳴のような声をあげてただ喜ぶ。それを直接感じて私もうれしくなる。あーあ、なくなっちゃった。また買ってくるか。

 どれも、国と国の間だったら貿易みたいなもんだと思うんだけれど、似てるけれど違う。違うけど似ている。これは何だ?

 考えていたら小腹がすいたので、おにぎりをたべる。小腹に与える。満足。満足したのは私?小腹?小腹って私か?

 ますます混乱する。


                                  2020年5月30日

 


グっちゃん

 サクラ、病院ネコになってから3年めで、すっかり居候が板につきました。趣味は、拾い食い、もらい食い、盗み食い。特技は、拾い食い、もらい食い、盗み食い。恐れも不安もない天国のような生活を満喫しています。

 予想もしなかったパンデミックで季節の変化の実感が中途半端になってしまった人々の心の世界をおきざりにして、外の世界は淡々と時を刻み確実に進みま す、そして、そこから静かに振り落とされつつあるちいさな命にまたかかわることになりました。

 「行き倒れのネコがいる、どうしよう。」で、いつも通りのやり取りを経て自転車に乗って私が引き取りに行くことになるわけです。そうしていつものように応急処置をしてから行政に連絡して愛護センターから職員が病院に回収に来る。七、八歳のやせて汚れた三毛猫です。顔面が大きくえぐれて眼球はなく、骨が露出しています。事故ではなく、腫瘍です。センターに収容されても回復の見込みのない猫は安楽死でしょう。外の世界と同じように、成熟した社会のシステムも淡々と時を刻み確実に進みます。

 そこで事件が起こります。形式的に処置を終え、振り向くと形だけ、お皿に入れたはずのキャットフードをそのネコが食べているのです。消化吸収して生命維持に資すべく嗅覚と味覚と触覚だけを使って 必死に食べ物を取り込んでいるのです。スイッチの入る音が聞こえます。それは、ここに治る見込みのない病気に侵された猫がいる。そういえば一週間ほど前に散歩している亀吉の前をブロック塀に沿うようにふらふら歩いている汚れた三毛猫がいたっけ。目が見えないのにどうやって生きてきたのだろう。かわいそうに。あれ、まだ食べているよ。生きようとしているんだ。助けてあげようかな、、、じゃあなくて、、、

 食べることは生きること。その生きる喜びが直接ドカンと私自身に生じます。そうして、名前を付けることによって関わりが始まりました。ぐちゃぐちゃのグっちゃんでみんなでつけた名前がGucci。3週間の間、よく食べ、排せつして、スタッフを元気づけて二日前急に食べなくなって昨日の朝なくなりました。

 火が消えたようなケージ。みんなに暖かさを与えていた命の炎でした。 

 このサイトを見た方から庭にきれいなバラが咲いたということでグっちゃんのために画像を送っていただきました。

 また一つ、みんなの心に足跡を残していきました。

 ありがとう、、、


                                  2020年5月5日




ホウボウはへんなさかな

海の底を歩く
海の底を歩く
凍らせても
凍らせても
煮ても
煮ても
食べても
食べても

まだ生きてるみたい       おいしい


時は流れてその2

 春が再び巡って、夜明け前の亀吉との散歩も1時間繰り上がり ました。久しぶりに澄んだ南の空には土星、木星、火星が整列し、その先のアンタレス。その赤い点滅にサソリの心臓の鼓動がきこえるようです。 オリオン座の星たちは既に地平線に隠れ、何千年のあいだ何拾億回も無数の人々の間で繰り返し語り継がれてきた勇者オリオンとそれをを追いはらった 毒サソリの物語がよみがえります。地上ではその何拾億、何千億分の一の存在の ちっぽけなイヌの一生がいま終局を迎えようとしています。ジコチュウですぐキレるこまったちゃんだけど、小さな命を一生懸命生きてきた小さな命に敬意を表してできる限り亀吉の物語を語っていこうと思いました。

おまじない

 最近、ペットが長寿になって、15歳のイヌ、20歳のネコも見かけるようになりました。。江戸時代のネコは歳を取ると山にこもって修行し、瞬間移動、念力、ヒトの言葉、など仙術を習得して何年か後、しっぽが三俣に分かれたころ 里帰りをして飼い主を驚かせたそうですが、どういう仕組みか、飼い主をコントロールする術だけをマスターした令和のネコはそれで十分、とばかり、面倒な修業はしなくなりました。

 ある日の診察室

私:これで今回の治療は終わりです。もう外には出さないように。17歳なんだから、ひとだったら80過ぎた爺さんなのに若者とけんかして、、、

飼主:今度もやられて3日も帰ってこないんで心配で、、、ケンカ好きで困ってるんですよ。若い   ころは強かったんだけど、、、ね、ごんちゃん   先生、どうしたらいいですかね。

私: 外だしたらだめ。

飼主:朝になるとニャアニャア騒いで、ダメだよっていってもいうこと聞かないし。こまってるん   ですよ。め、ですよー、ごんちゃん        先生、どうしたらいいですかね。

私: 今度やられたら、命にかかわるかも、、、

飼主:ほら、せんせいも言ってますよ、ごんちゃん。今度ケンカしたら死んじゃうよ。ダメだよっ   て何度も言ったのにー。            先生、どうしたらいいですかね。

ごんたを見ると、飼い主の腕の中でニヤニヤしながら余裕の表情です。

(私:さては、術を使ったな。そっちがそう来るなら、こっちもだてに長いこと獣医やってんじゃない、ということで、、、)

私:困ったなあ、、、、、しょうがないなあ、、、、、お父さんが約束を守ってくれるなら。ごんちゃんが言うことを聞いてを外に出なくなる秘密のおまじないをお教えしますが、、、

飼主:ごんちゃんのためならなんでも

私:ひとつ、心は清らかに邪念は持たず所作は忠実に守ること                  ひとつ、絶対に口外しないこと                               誓いますか

飼主:誓います、誓います。ね、ごんちゃん

私:それでは、エッヘン ごんちゃんがドアの前で騒ぎ出したら

飼主: 騒ぎ出したら

私:ごんちゃんを左のわきに抱え、ドアの前に立ちます

飼主: ドアの前に立ちます

私:カギをゆっくりかけながら、次の呪文を唱えます

飼主:  呪文を唱えます

私: ニャテーニャテーハーラニャーテー  外に出たらだめですよ

飼主: ニャテーニャテーハーラニャーテー  外に出たらだめですよ

私: ごんちゃんをつれて速やかにさがります。

飼主:さがります

私: お礼を忘れないこと

飼主:おうちでやってみようね、ごんちゃん


教えに忠実に従えばごんたがぼこぼこにされることはもうないはずです。ごんたさん、自分でドアを開けて外に出る術を身に着けなかったのを悔やんでも後の祭り。


生きてるだけで十分

 息子を殺めた元事務次官の裁判が始まったそうです。被告も、被害者も、親族みんなで真摯に苦しんで努力して悲惨な結果を作り出してしまいました。

 もし仮に、私の祖父が官僚としての最高峰である事務次官にまで上り詰めた人だったら、自信の源泉の一つとして、それはいろいろな場面で力を与えてくれる私の財産です。周りの人たちもそれで私に一目置くはずです。子供二人、孫四人として、少なくとも合計6人分のプライドになりうるおおきな精神的遺産を子孫に残したことになります。

 彼が精進努力して築き上げたその遺産、被告の彼の血縁者はそれを享受してよいと思います。すべきです。経済的にも十分余裕はあったはずです。極端に言えば、今回の事件の”被害者”は”加害者”である父親のその努力をたたえて堂々と一生ゲームをして暮らしていてもよかったと思います。親族は、それを祝福してよかった、、とおもいませんか?

 私はそう思います。物質的、精神的余裕の中でゲームに没頭するいい大人達の集団。そんな集団の中から必ず何か生まれてくると思います。そういうところからしか生まれてこないなにかもあるはずです。

 、、、そんな風に思っていたら、すくなくとも、こんなことには、、、

それでよかったんだよ


夜明け前の空

 11月、夜明け前の空が澄み渡り、まず目にはいるのは南西の空の青い星、シリウス。右にたどって、三ツ星、その左上の赤い星ベテルギウスからオリオン座を確認すると夜空は図鑑を開いたように一気に星座たちで埋め尽くされます。冬の星座たちが現れて一年の時間を刻みました。月は30日、太陽は1日単位で時間を刻んでいきます。

 はじめから”場所”はあるようです。”感覚”を”場所”でまとめると”もの”が発生します。 ”場所”から解き放たれて”もの”から”とき”が発生しました。”とき”から発生するのは何でしょう?まだ暗い朝5時前、丘の斜面に広がる住宅地の路地裏、街灯の途切れた暗がりで空を見上げます(怪しいな)。

 遠くの、街灯の灯りのスポットに色を見つけました。緑と赤がはねています。街灯のスポットからスポットへはねながら近づいてくるのは、派手なウェアを着てジョギングをしている人です。短いときを刻みながら近づいて来て、私のすぐ横を通り、ときを刻みながら遠ざかっていきました。それはよく出会う人でした。今は独立して東京に住む長男が幼いころ、家族で行った近くの公園でよく見かけて、今はもういない妻と感心しあったことを思い出します。

 ”かれ”が30年の”とき”を生み出したのでしょうか。”とき”を生み続ける星座も月も太陽も”もの”としてずっと変わらないように見える一方で、馬のような筋肉をまとい、黒々とした頭髪をたてがみのようになびかせ、力強く大地をけって爆走していたあのランナーは一つ一つの性質を〝とき”と引き換えにして”かれ”を保ってきたように見えます。”とき”から”かれ”が生じた?!

      この”わたし”も、、、そちらの"あなた"も、、


理想の臨終 私の場合

 Ⅰ 近所で独居老人の孤独死がありました。死後1か月ぐらい、異臭で発見され,熱中症ではないかという噂です。いうまでもなく、みんなの反応は一様で、私が、孤独死が自分の最後のミッションだとか、熱中症もよい死に方かもしれないとか言い出すと、当然ながら必ず強く反論され、これはやばい状況であると再確認しました。

 105歳近くまでとにかく生存した、元気なころは、結構自己主張が強かった 私の祖母の100歳を過ぎてからの、胃瘻チューブを入れられ、外からは意識もほとんど確認できず、いろいろなところを回って(自宅の介護ベッドで、孫(私)の世話になった数か月もあったっけ)最後は 特別養護老人ホームで息を引き取ることになった数年間を思い出します。

 私はというと、どういう状態で、何ができて、どうすべきか、よくわからない状況で、入院させるのか、帰宅させるのか、介護施設を捜すのか、周囲の人や公務員、医療関係者とともに、とにかく悩み、とりあえずすすんでいったけれど、振り返ると、その過程のたくさんの分岐点のそれぞれでで、祖母本人の心情は、推測するしかないにしても、ほとんど考慮されず、彼女は何かされることだけでこの過程に参加していたのである。

   Ⅱ その過程でお世話になったある介護施設のリーダーの医師とじっくり話をしたことがある。そのとき彼のいうことには、医療も社会も臨終を迎えつつある患者本人の心のことを考慮したシステムになっていない。自分の臨終でそれに巻き込まれるのがいやなら、元気なうちにすることは一つ。しつこく周囲の人間に自分の考えを主張する機会を作ることで、彼自身も息子さんたちに実践しているといっていた。身内も、医療関係者も、社会も、他人の心情を考えるために必要な余裕はないということ。 すでに10年前に、妻と死別し、今年で、3人の子供たちがすべて独立し、体の節々に使用期限を感じるりっぱに独居老人となった私も、自分で努力しなければいけないということだ。この場で自分の理想の臨終を主張することにする。     

 Ⅲ まっとうな人間としての思考能力の確認できない状態、例えば、小学算数の文章題に正解できない状態で

①どんな方法でも栄養投与をされること

②どんな目的でも脳に力学的侵襲をあたえられること

以上の二つを、私は拒否します。

   


ある小さな命の記録


                               神の満足

視野の片隅を小さな黒い影が横切った。ハエトリグモだ。名前の示すように家の周囲で、 ハエなどの小昆虫を捕食するために歩き回っている。テーブルの上からパソコンのディスプレイに飛び移ろうとしている。何度目かの落下の後、小さなクモが体をひねってこちらを振り向いた。その姿を見た瞬間、クモと私の二つの心がつながった。

   そのクモは4対、8本脚のうちなぜか右側3本を失っていたのだ。それは、苦しみに満ちた数日の後の無残な死を意味する。クモにとって私は身の丈350倍、体積約4000万倍。超高度の情報処理能力を備えたシステムである。クモが私なら、私は身長650メートル、体重300万トン、全知全能の、、神様!

 祈りが届き、”神”は動いた。プラスチックの容器に保護され、ピンセットの先に捕らえられたやぶ蚊が下賜された。しかし目の前に突然現れた神の恵みに憐れなクモは空腹感も忘れてただ畏れ、無い手を合わせるばかりであった。

謎の声「神様、ちょっと、待ってよ。」

神(私)「なんじゃ?」

謎の声「クモとやぶ蚊と、待遇が違いすぎませんか?えこひいきじゃないの?」

神「捕食者は生きていくために多くの死を作りそれを観、そこから自らの死を予期し恐怖を抱き苦しむ。一方、死を知らない被捕食者は死の恐怖も苦しみもない。抜苦与楽は神の慈悲、何の矛盾もない。エッヘン」

謎の声「ほう。ところで、クモが失った3本の足はどこにいったと?」

神「....」

家の中だろうなあ、外は危険が多すぎる。アリ、ゴキブリ、、アシダカグモ、、アシダカグモだったら足3本じゃ済まないだろうし、、、ほかのハエトリグモは可能性ありかなあ、、え?!もしかして

ゴジラ(私)が大地を揺るがせて立ち上がった。   「裏庭のカポックの木でアリマキ捕まえて来なくっちゃ」         

   

                           ゴジラの憂鬱

数日、クモは天国のように安全なカプセルの中でやぶ蚊やいがという小さな蛾を餌として与えられ次の脱皮を待っていた。それで、脚の一部も取り戻せるはずだった。あるときゴジラの血をたっぷり吸ったやぶ蚊が与えられ、いつものようにそれを貪り食った後動かなくなった。一日後、突然数回はねた後痙攣し、絶命した。

 血液は体外に出ると凝固反応をおこして固まってしまう。吸血動物はそれを阻止する特別なたんぱく質を持っている。やぶ蚊は人間の血液凝固因子の働きを抑えるたんぱく質をもっている。クモはそれを持っていないが、餌としているやぶ蚊のたんぱく質を分解する能力がある。このときクモの体内に取り込まれたゴジラ(私)の血液が凝固過程を再開するのが容易に推測できる。

ああ、、、                        

    

ヒナを拾わないで!!

 8月に入ると気温は連日30度を超えるようになりました。午前の仕事が終わってアスファルトの照り返しのなか、車道の左端を自転車はのろのろと進みます。左前方、ゆらぐ景色の歩道の上にふわふわと一枚の枯葉が落ちました。夏の照りつける太陽に焼けた敷石の熱さに枯葉は弱々しく身をよじります。、、、スズメのヒナです。自転車を止めて確認します。 まだ嘴の黄色いスズメのヒナは統制のとれない動きをしています。何年か前のさくらとおなじような。熱さで中枢神経が障害を受けています。さっそく頭上ではカラスが騒ぎ始めています。

 この時期、よく病院に野鳥を保護した、どうしようか、という電話がかかってきます。話を聞くとほとんどの場合巣立ち直後の健康なヒナ鳥を安易に善意で捕獲したものなので、職業柄、少し強めに、必ず親鳥が近くにいて、持ち帰ってしまうと子育てを邪魔することになることを指摘して、元の場所にもどすように指導しています。状況は理解してもらえることになりますが、その後どうなったかはわかりません。言葉にならないつぶやきは聞こえます。「でも、さあ」

 我々獣医師界の掟は、完璧に飛べなくても、しっかりと立つことのできるヒナなら手を付けてはいけないことになっているのですが、気が付くとヒナは職場に向かう自転車のハンドルにそえられた左の掌の中で小刻みに弱々しく震えていました。だめじゃん!「でも、さあ、、早く冷やしてあげないと、、、」


老猫

 ネコの寿命がのびて20歳以上にも驚かされなくなりました。瞳孔はいつも半開き 、ゆっくり、カクカクした動きで▲●ー(にゃーの濁音)と鳴きます。爪は太いお化けづめ、爪とぎはできません。歯はほとんどありません。多飲、ほっておくと吐くまで飲み、多尿、ときどきおもらしもします。  もし、レントゲンをとれば股関節の異常が撮影できるでしょう。痛みもすこしあるはずです。生物的には進化した肉食動物のネコですが、現在の栄養源は逃げも隠れもしないキャットフードのペレットだから獲物に追いつく素早い動きも、獲物を捕らえる鋭い爪も、とどめをさす牙も、獲物を切り刻んで飲み下すための裂肉歯もぜーんぶ必要ありません。血液検査をすれば腎機能が低下している数値が出るはずです。触診でも凸凹の委縮した腎臓が確認できます。水をたくさん飲むのは腎臓の機能が落ちて薄いおしっこがたくさん出るからで、病気というより老化現象。症状ではなく特徴です。20歳のネコはそれらのすべての特徴を飼い主に愛されるための有効なアイテムに変換し、特に皺の弛んだ声帯から出る鳴き声などは半径5メートル以内の飼い主を自由にコントロールします。  20歳のネコのためにヒトができることは何でしょう。爪切り、こまめな給水、保温、処方食、、。基本的には、20歳まで生きているという事実はここまでの環境が良かったというエビデンスなのだから、それを変えるべきではないと私は思っています。そっとそのまま、、、

われ思うゆえにわれあり 


 

病院は谷戸と丘の町横浜の中心部の西のはずれからさらに1.5㌔ほど西に延びるる谷戸(星の谷)の入り口近くにある。今朝の亀吉の散歩は南側の丘のコース。日の出までまだ1時間ほどある夜明け前に出発し、遊園地通りにそって谷を5分ほど遡ると2丁目の造成地が南側の丘の斜面にひろがる 。ここで谷を離れ、この住宅地の東の縁に沿って蔦で覆われた煙突で有名な風呂屋の裏から区内で一番急だといわれている坂道を上る。この坂から3本の道が住宅地の東西を結んでいる 。それぞれ星の谷に並行して高度差の大きいしっかり舗装された道を、下から四条、三条、二条と私は呼んでいる。 。先ず四条に入る。小さく上って大きく下りまた大きく上ると住宅地の西の端である。三条を逆に西から東へ、まるでジェットコースターである。もう一度、二条、一条と往復すると尾根に到着し南側の別の谷を見下ろせる位置にくる。そのころにはもう空全体が明るくなってくる。もうすぐ日が昇る。洞門をくぐり丘の南側をまいて帰路に就く。外界が明るくなりつつあるこの時間、墨絵の景色に色を付ける仕事ためにウォームアップした脳細胞たちが、手持無沙汰に思考にも彩を与える。とつぜん、耳のそばで声が響く。

謎の声「もしもし」

私「わっ。なんですか。」

振り返ってみたがまだ暗い緩やかな坂道に沿って街灯が照らしているだけだ。

謎の声「あんたの奇妙な行動を観ていたら面白いことを見つけたんですよ。 」

声は直接頭の中に響いているようだ。

私「なにがどう面白い って?」

謎の声「あんた、本当はイヌ でしょ?面白いですね」


私「なにが奇妙な行動でそこからどうして、、、」

謎の声「もしもし、、、、さっきからずっと見てたら上がったり下がったり、右に曲がったと思ったら左に曲がったり、立ち止まったり。それで気が付いたんですよ。あんたに奇妙な指令を送っているあるものに。あんたが連れているように見えるけどあのイヌ。あれがあんたの正体ですね」

私「亀吉?私が連れているように見えるだけでなく、実際私が連れています。私の正体?」

謎の声「でもあんたが奇妙な事をするたんびに亀吉さんはちらちらとあんたを見てましたね。指令を送っているにちがいありませんな。あんたの正体というより、あんたのドライバー。」

私「それはアイコンタクトと言って、ペットが飼い主の意向を忖度しているしるしで、逆に私こそが亀吉のドライバー、、、」

謎の声「じゃあそのあんたのドライバーは?」


私「 それは私自身、自由意志、あるいは本当の私、、、」

謎の声「その意味で、少なくとも散歩してるあんたは本当はイヌじゃあないかと言ったのよ」

私「本当の私は、私にしか見えない私の心の中にいて私の行動を決めている。あなたに見えるのは私の外の世界だけ。それでそんな誤解を、、、」

謎の声「あそ。あんたにしか見えないようなわけのわかんないもんを持ち出さなくたって誰にでも見える亀吉さんで少なくとも散歩中のあんたの行動は十分説明できるでしょうが」

はっきりと聞き取れなかったが別の謎の声が聞こえたような気がした。

謎の声「おっと、おいらはペンキ屋、油売るのが仕事じゃない。じゃあね。おーい、親方、まってくれよー」

ペンキの缶を肩に下げ、刷毛を持った職人風の男の後ろ姿の集団が見えたような気がした。

 シルエットの黒と白の世界から分刻みで色彩があふれ出してくる市民の夜明け、いらいらしながら最後の坂道を下りつきあたりを左に曲がる。左に曲がった場合、右に曲がった場合、まっすぐに歩いて生垣に衝突した場合、それぞれの状況が予測、提示され、そこから、自分の行動が一つ決まったのは確かだが、そのひとつの行動を選んだのは本当の私なの だろうか?確かにまた亀吉と目が合ってしまったが、、、それはないだろう。賢いハンスが幻想だったように、本当の私もあまり賢くもない幻想の賢いハンスなのではないだろうか。「われ思うゆえにわれあり 」別のこえが遠く聞こえた。「われいらつく、ゆえにわれあり」声に出して応えてみたが、どっぷり色彩に漬かった世界のどこからもあの謎の声はもうきこえてこなかった。

おわり

駐車場の呪文

毎朝、亀吉の散歩で通りかかる駐車場。駐車スペースに振ってある数字は1,2,3,5,6...、4は"し"で”死”を連想させて気持ちが悪い。こんな気持ちは自分も、周りの人にも味あわせたくない。じゃあ見なければいいとオーナーは4番スペースをなくしてしまったということだ。ところが、私が亀吉の散歩でこの駐車場を横切るたびに、私の目は地面に書かれたスペースの番号を無意識に 読んでいくのである。それが自然の流れである。1,2,3,5,6...あれっ。あ、そうか。4は"し"であの忌まわしい"死"を連想させるから,,,,,,,今日もまた昨日と同じようにその気持ち悪さをあじわい、少しずつ強化することになった。この気持ちをなくすために4番スペースなくしてしまったのに 。8台の駐車スペースの最後の番号が10。いじらなければ現れなかったはずの9、”苦”が現れ、それを紛らすために、、、



分からないこと

丘の向こうに日が沈むと空は徐々に暗さを増し、星たちが輝き始めます。西の空、太陽に代わってくっきりと姿を現した三日月を夜空に浮かぶ弓に見立てて空想の矢をつがえてみます。”満月”のごとく引き絞ったその弓。矢の標的はなんでしょうか?黒々とした丘の陰影の後ろに隠れているはずの太陽の中心!、、、じゃあないんだな、観察してみると。面白くないなあ。、、、でも、楽しい。

私の一生

 

 これからはムー系のお話です。斜めに構えてお聞きください。アガスティアの葉、聞いたことがありますか?インドの奥地に1枚に一人ずつ全人類の人生が記されているアガスティアと言う木の葉っぱが貯蔵されているそうです。怪しい。一体、過去から未来まで、人類全って何人いるのでしょうか。一人の一生を記すのにどれだけの文字がいるのでしょうか、葉っぱが何枚必要でしょうか、それらを貯蔵する膨大な空間は?


 ”自分探しのインド巡礼の旅7日間”の特別オプション”アガスティアの葉に教えてもらおう”ツアーに参加した。参加者は私一人。バンガロールから灼熱の道路を車で半日さらに石ころだらけの山道を三時間登り、汗と埃まみれになって山の中腹の強いお香の匂いが漂ってくる洞窟の前に立った。現地ガイドの指図のまま、暗い洞窟の中に入っていくとお香の匂いはどんどん強くなり、暗闇に慣れて来た目に、典型的なインドの山奥で修行している行者がこちらを向いて座禅しているのがわかった。

現地ガイドはポケットからくしゃくしゃになったオプションツアーの申し込み用紙を取り出して、行者に馴れ馴れしい口調で一言二言何か言った。行者はゆっくり立ち上がり典型的な仙人の杖を持って、洞窟の壁際の丸くて平たい石の上に立たせられた私の前に立ちその杖を私の横に立てて、物差しで私の身長を測るような動作をしている。よく見ると、杖には目盛が。そしてその目盛の上の一点がオレンジ色に光り、行者は元の位置で杖をおいて再び座禅を組んだ。闇と静寂と頭がクラクラするような線香の香りの中で待つこと10分ほど、仙人が突然口を開き、ガイドが同時通訳を始めた。『2725502542』私はカバンからノートを取り出して封印を破り、数字のびっしり並んだページを指でおった。『2725502542』 それまであった自信が一気に消し飛んだ。嘘だ、何か仕掛けがある。

 ツアーに出発する1週間前、私は新しいノートを準備してパソコンの前に座った。円周率をググり小数点以下を10桁づつゆっくりと大きな声で読み上げながら書き写した。50桁ごとに桁数を記して改行した。

1415926536 8979323846....6939937510   50桁5820974944...                                                                                                             100桁...

三時間ほどかけて10000桁まで書き写し、ガムテープで封印し、旅行カバンの奥にしまった。空港で現地ガイドに提出したオプションツアーの申し込み用紙にはこう書いた。       「1週間前に私は会社の大切な書類を作成していましたが、大切な箇所を汚して読めなくしてしまいました。はじめから %@ー# 番目からの10文字です。どうか私の人生の全てが記されているアガスティアの葉でその箇所に私がなんと書いたかを教えて、助けてください。」

洞窟の前で、ガイドが私に聞いた。「ココ ヨメマセン ナニ カイテル?」時計を見ると17時41分「 あ、1741です。よろしく」

1741桁目から10桁分の数字を何度も確認した。ノートのその箇所にはわたしの字で確かに2725502542の数字が書き込んである。数字の洪水のせいか、強いお香のせいかわたしの記憶はそこで途切れ、気がつくと、ムンバイの空港で旅客ターミナルが開くのを待っていた。

 全ての人の一生が記録されているという"アガスティアの葉"。ある仕掛けを準備してインチキを暴くべく旅に出たのですが簡単に跳ね返されてしまいます。どこで騙されたのだろう。帰国後、悶々としていたある日夢を見ました。

暗い洞窟の奥、むせかえるようなお香の煙の中、あの杖が横たえられ、その前で結跏趺坐で行者でなくて私が印を結び呪文を唱えています。呪文が早くなるに連れて杖の赤い点が輝きを増し、空中に飛び出してきたのです。赤い点は赤い尾を引いて私の周りをぐるぐる周ります。点に見えたのは、先頭からみただけで実は長い長い光の帯です。しかもその赤い光の帯に見えたのはよく見ると赤い数字の列です。どんどん飛び出してくる数字の洪水で周りの空間が埋め尽くされる頃、呪文の文句が変わり赤い渦の回転が止まります。例の杖の光の点が緑に点滅しています。また口から自然に出てくる呪文の種類が変わりすぐに止まりました。新しく飛び出してきたのは10個の緑の数字『2725502542』

 アガスティアの葉は実在するのか、あの行者はそれを読んで私の過去を言い当てたのか、あるいは催眠状態で幻覚を見せられたのか、、、洞窟のお香が犬の吸入麻酔のハロセンみたいな香りがしたこと、行者の姿が私が小学生の頃テレビで見たレインボーマンに出てくる聖者ダイバダッタそのものだったこと、断言できないけどやっぱり怪しいな。

 ただ一つ、今回の旅で、貴重な気づきをもらった。私が生まれてから死ぬまで意識したことを全て記録して数字に変換し、先頭に"0."をつけると0と1の間の一つの数になる。私の一生は0と1の間のたった一つの数に過ぎない。それが私のアガスティアの葉。見つけられるかどうかは別の問題だけれど、、、。



お別れ

あるパターン化した症例があります。滅多に来院しない、あるいは初診で、70代の母親とその娘さんでグッタリした老猫を連れて来ます。何重にもタオルで包み、大切そうに抱きかかえて。母親が一方的に繰り返し訴えます。『元は野良だった。もう治らないですよね。苦しませたくないから楽にして欲しい。』診察台の上にそっと置いてもらって、現状と経過を問診します。いつから、食欲は?、排尿は?、、、回答は一定しないし、母娘で、いうことが違います。そして母親は先ほどの主張を私の質問に対する答えの間に繰り返し、娘さんはその母親を見つめています。低体温、脱水、重度の貧血、弱く規則正しい心拍と肛門周囲の黒色の下痢の痕跡をみて、治療行為について状況を説明します。苦しんでいる徴候はないこと。お別れまで時間単位であることを説明すると母親は動揺を残したまま娘に促されてそのまま診察室を出て行きます。ネコは不思議な生き物です。どこからか現れて家庭の中に入り込み、家族の喜怒哀楽に寄り添って空の満月を100回も眺めるとまたどこかに帰って行きます。私はそこには何か使命を果たした者の威厳さえを感じます。だとしたらそこで独り立ち去るものに残されたものが捧げるべきは悲しみの気持ちではないと。ただ、飼い主のその場しのぎの気休めであっても点滴ぐらいはしてあげてもよかったかなという気持ちもどうしても残ります。職業柄。


時は流れて

先日大学の恩師の葬儀に行って来ました。参列者の中に古い記憶にアクセスする風貌をいくつも見つけて「あれから30年、、、」を実感しました。関東地方が梅雨に入り、日の出の時間は一年で最も早い4時26分です。日の出が一年で最も遅い6時50分の頃を思うと寒くて辛かったなあ。「あれから半年、、、」ですか。日の出の40分ほど前、航海者の夜明けの時間帯、視覚の世界は陰影の世界です。色がない分、形の情報が豊かで、東の空を背景に背の高い木々の枝先の葉や電線から飛び立つ暁烏の握りこぶしまで確認できます。それから10分程で市民の夜明けが始まると世界には色彩が溢れ出し、細かい形状より色の変化が情報を占めるようになり景色はがらりと変化します。


行き倒れヒトバージョン

日の出前1時間のお散歩は亀吉との約束です。5月も終わろうとしている先日、午前四時頃、保土ヶ谷から清水ヶ丘への急な坂道をあえぎながら登っていると50メートルほど先、街頭に照らされてガードレールの横アスファルトの上の生命反応のない黒い塊が視野に入りました。また猫かな?

ひかれて道路に屍を晒している猫にはよく遭遇しますが、ほとんど心を動かすことはありません。まず、道路の片側に遺体を寄せ(大抵は耳を引っ張って)特徴を確認して病院に帰り、状況に応じて、環境事業局に連絡するか、ビニール袋や消毒スプレー、軍手など小物一式を持って自転車で回収に向かいます。血まみれだろうが、頭や腹部が破裂していようが、バラバラだろうが全く事務的に淡々と作業します。小動物獣医師という職業で参加している社会の一員としての義務だと思っています。しかし今回は心の中で段取りをしながら坂を登り、対象に近づくにつれて違和感と不安感が湧き上がって来ました。大きすぎる!ヒト?!!

黒いコートの20代から30代前半と見られる女性が下り坂でつんのめったそのままの形で倒れ臥しています。恐る恐る肩を揺すって声をかけても全く反応なし。硬いし、なんだか冷たい?呼吸してない?耳を引っ張って、、、なんて気持ち悪くてとてもとても。結局、パトカーや救急車、消防車まで出動して担架で運ばれて行くときに声をかけると恥ずかしそうに微笑んでいました。よかった。

しかし、この違いはなんでしょう。命の重さの違いでしょうか?そう簡単にいえそうも無いと考えていたとき、あることを思い出しました。この歳になると、身近な存在がどんどん他界します。ここ10数年でも、妻や両親、祖母、義理の父親、義理の兄など、まず思い出す彼らの顔は全て晩年のものです。しかし今、私が思い出すクロは初めて散歩に出たときの4ヶ月の子犬だったり、夜中の清水ヶ丘のグランドを砂煙をあげて疾走する5歳のときの若犬だったりするのです。今でも、隣の部屋から生前よくやっていたように照れたように、はにかむようにしながら10歳くらいのクロが出て来ても”どこ行ってたの?なんか食べる?”と自然に声をかけることができるでしょう。(9年前に亡くなったカミさんがもしそうやって出て来たら大変。動揺して腰を抜かすと自信を持って言えます)この違いはなんでしょうか。私だけのことでしょうか。


クロ

2017.11.27

7月に、15年間一緒に暮らした犬を見送りました。寂しいなあ。頭を撫でてやった時のゴリゴリ、チクチクした感触が思い出されます。もういないんだ。と、じっと手を見ます。

 死ぬのは一生で一度しかありません。それを見せて、学ばせてくれるのがペットから養ってくれた飼い主へのご恩返しとかいうのを昔読んだか聞いたかしたことがあるような。なるほどなあ。でも、やっぱり割り切れないなあ。

© 2017 ミュウ動物病院 横浜市南区永田北1−2−7
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう